2009-09-22

「徴あり」の排除は秩序の崩壊

山口昌男『文化と両義性』から。
「徴あり」の存在は、意識下で人間と宇宙とのつながりを保っているものであり、それを排除した「徴なし」集合の秩序は暴走・崩壊する。
文化の中の人間は、自らが、そういった負の根源的象徴から隔たっていることを、人に示し、自らも納得するために、身近に負の象徴を背負った人または事物の存在を必要とする。日常生活の中で、比較的歓迎される記号とは、それは、「かたち」のみ意識されるか、または「生きられる」かしている記号であり、こうして「徴づけ」られたものを排除した残りの部分からなっていると言いうる。しかしながら、我々の知覚作用は、世界に対して、「徴なし」の記号からなる秩序で整序しえない部分にまで及ぼされる。意識の中の因果関係のバランス・シートには納まりきらない部分を意識下の部分にゆだねる。

従って、記号は二重の作用を同時に行っているということにもなる。一方では、それは、負の項を対極において際立たせ排除しながら、他方では、負の項を通じて、未だ形をとらないが、人間が世界を全体的に捉えるために欠かせない宇宙力ともいうべき部分とのつながりを保たなければならない。この宇宙力とは、時にはエロスといわれ、時にはタナトスともいわれ、更にはまたニルヴァナとも「自然」ともいわれるかも知れない。しかし我々がそれに対して命名できる範囲は常に限られたものでしかない。この「開かれた」状態が閉じられたら、それは、「秩序」そのものを支え絶えず生成させる根源的な諸力の崩壊としてのエントロピーの増大にそのままつながることになる。

しかしながら文明が保証する「秩序」とは、そういった諸力からの逃避によって動機づけられてきたこともまた確かなことである。

「罪深き」身体と暴力性

文化の記号論的基礎としての「排除の原則」または「犠牲者のでっち上げ」の論理について精神分析学者トマス・シャシュは、ゲームの理論を利用しながら西欧中世の魔女狩りを次のように説明する。
先ず中世の神、キリスト及びキリスト教神学は、悪しき神及びその眷属(悪魔・ウィッチ・妖術師)の存在という信念から切り離すことはできない対概念である。この対概念という視覚から見ると、ウィッチについて語られる性的無軌道というイメージもカソリック教会の公的反性的態度の一方の片われということになる。そこで、魔女たちを焼き、彼女らの身体の破壊を強調するのも、中世の人間の神学的世界観という前提において考えなければならない。神学的世界観では、身体は弱く罪深き存在である。このゲームの公的ルールによれば、肉体は悪で、魂は善である。肉体を痛めつけることは、魂を高貴なものにする最も確かな方法である。

殉教は、魔女の火あぶりと直線で結ばれている。
西欧中世においては性的行為の方は…著しく乱れていた。ところが法は、殆どの俗人が従うつもりのないような高い規準を設けていた。当時の人間は、あたかも自分達が法にのっとっていきているかの如く装い、自ら信じるために、このような法に従わない人間がいることを強調する必要に迫られていた。こうして「犠牲山羊(スケープゴート)」が創り出される。スケープゴートには得体の知れない力の持ち主である女性が選ばれる。

「秩序」形成と「他所者」の排除

山口昌男『文化と両義性』から。
先へ進むには、「他所者の排除」と「暴力」が結びつく契機は何であるかを明らかにする必要がある。

「秩序」形成とは、混沌という名の、連続的で形を欠いたものの中から一定の見分けのつく塊りを取り出す記号論的行為である…文化のプラクシスは、こうして、「秩序」の側からの「周縁」に対する働きかけによるコミュニケーション(交感)によって保証されている。こういった、記号のレヴェルにおける周縁の強調は「犠牲者(ヴィクチメージ)のでっち上げ」という行為を通して「秩序」と「混沌」の弁証法形成に最もダイナミックな形で働くことを明示したのは、ケネス・バークである。バークは、あらゆる反秩序的マイナス記号を付された「犠牲者」との距離において文化は「秩序」を形成する、という文化のプラクシスの根本原理を明らかにする。秘儀としての「犠牲者」の象徴的抹殺が、文化の隠された根源にあることを示した。

「女性」は潜在的「他所者」として象徴論的に排除され易い存在である。

「村の衆」と「他所者」、「身内」と「他人」といった区分は、殆どすべての社会において、人間のアイデンティティ形成の前提として存在する。この区分は、必然的に、事物の記号論的分裂を惹き起こさずにはいない。すなわち存在の名づけられたものの肯定と否定の側への分離、それに伴う形容詞の配分がそれである。

以下の文は「犠牲者(ヴィクチメージ)のでっち上げ」の文脈で書かれている。一般的にいう加害者(ナチスドイツやスターリン体制など)を正当化しているのではないことはよく読めば明らかである。
多くの分類がそうであるように、分類されることによって各項は、いっそう一つのものの異なった現れ方をする…。こうした点は、スターリン体制下における「トロツキスト」またはキリスト教国、特にナチスドイツにおけるユダヤ人を例にとって見ても確かめられることである。「加害者」が実は「被害者」であって、「被害者」と自己を同一化する共同体側が、「加害者」を作り出さなければならないという…点は、ウィッチクラフトが、社会的・心理的現象であると共に、K・バーグのいうように「原論理学(ロゴロジー)」的・宇宙論的現象であることを明確にしなければ、充分に理解されえないと思われる。

共同体における脆弱性と異人の問題

引き続き、山口昌男『文化と両義性』より。
ひとつの集団を「絶滅」「抹消」させる意図を持った暴力―ホロコースト、原爆―の根源が何なのかを探りたいと思う。それは、概念上でしかない「理想の身体」に、本来は豊かな意味の源泉である身体を封じ込めようとする権力と関係しているのではないか。

神送りの習俗の目指すところは、境界を介して村の秩序たる「文化」に対抗する「自然」的要素(サネモリ、泥棒、御霊、害虫、怨霊、風の神、等々)を視覚化することによって、混沌の要素を秩序に対置し、騒音を以って、宇宙的な亀裂を生じさせることによって、時間および空間を蘇らせるところにある。
…特にマルディ・グラの日には、こうした人形、或いは動物(鶏)などを選んで、これに前年の厄、穢れなどを背負わせて破却(イモレーション)するという習俗は広く伝えられている。こうした悪の象徴ともいうべきものを顕在化させて、これを可視的なものにするという行為には、混沌を喚び起こすことによって、負のエントロピーを吸収させて、世界を浄化させる機能が組み込まれている。
…それは、内側における境界性の喚起と、そうして喚起されたもののフィジカルな境界(村境)への転移、そうすることによって「徴あり」としての境界の強調、という儀礼的=記号論的秩序の再構築が行われるということになるのである。

「異人」は何よりも、その「脆弱性 ヴァルネラビリティー」を意味している。それは共同体の中でのお先真暗の弱さであり、挙動における弱々しさであり、「異人」をその特殊な片隅に追い込むに至らしめる集団の「異人」志向の問題でもあった。…どの家族にも、寝小便とか、怠け者とか、盗癖とか、虚言性といった汚名を陰に陽に着せられて潜在的に差別される子供がある。家族の平和とは意外にも、こういった「排除の原則」の適用の上に成り立っているということになるのである。

人は連続性の線の内部への侵入をおそれる。この侵入を防ぐ行為は、境界および防壁を築くことによって解決される。ところがこれは外来者の侵入を防ぐというより、意識の内側の「異和的」な部分を可視的なものに転化することによって外在化し、こうして、境界外に追放しようという願望に外ならない。…よく「封じ込め」という言葉が使われるが、実は「封じ込め」るためのヌミノーシスの喚起の方が重要なのであって、「異和性」の侵入、エントロピーの増大を防ぐために、「異和性」を境界として顕在しようという試みに外ならない。

2009-09-15

数量化された目的と身体

山口昌男『文化と両義性』より。
主流として流布している女性のイメージがどういうものか、同時に周縁に生まれてくる女性のイメージがどういうものか。それを知ることで、時代の深い部分で動いている流れをとらえることができるのではないか。

ガリレオ・ガリレイとデカルトに象徴される17世紀の合理的啓蒙主義が哲学を全体性から切り離したことは、西欧の知的感受性に致命的打撃を与えた…ガリレオ的客観主義が、現実を数量化し細分化し、断片化したこと…のもたらした結果は、現実を一元化し、数理的処理の対象たり得ない現実を、確実性の法則に基づいて排除したことにある。

女性の身体に目的を課してきた歴史は、ガリレイ、デカルト以前に勿論存在していた。
問題はそれが、近代において強大な力と正統性を与えられた科学技術(フッサールの観点によれば、この「数量化された」科学自体が、全体性からみれば相対的な、主観性の領野のひとつであったにもかかわらず)と結びついたことである。

社会が何かを排除する方向に動いている場合、主流の女性の身体には数量化または断片化した目的を(意識的に、無意識的に)課しているという事実が常につきまとう。その時、周縁の女性のイメージはどのように扱われているのだろうか。

2009-09-14

Natural Reader でフランス語練習

当然といえば当然なのだけれど、フランス語学習の教材は、英語学習のそれよりも圧倒的に少ない。
英語なら、今やネット上で、smart.fmでもyapprでも、skypeを使うマンツーマンの英会話レッスンでも、無料or格安で上達させる術は山ほどある。
私が留学する前は、英字新聞と米軍放送のニュースをシャドーイングするくらいしか、生の英語に触れて上達させる方法がなかったから、本当に良い時代が来たものだけど、フランス語学習者はその恩恵に与っているとは言い難い。

生のフランス語でも何でもなくて、次善の策ではあるけれど、私が今フランス語の音読のために重宝しているのが”Natural Reader”というtext-to-speech、いわゆる音声合成ソフトだ。
これは、電子辞書みたいなガチガチ不自然な音声ではなくて、ネイティブの自然な発音により近いNatural Voiceを使っている。発音の速度も20段階に変えられるし、音声ファイルに変換して携帯にダウンロードしてこられるので、とても便利。

これに、ウェブ上からフランス語のニュースや文章を引っ張ってきて、発音をチェックしながら覚えるまで読み込む、という形でフランス語を勉強している。

音声ダウンロードなし、字数制限あり(1000ワード)でも良ければ、音声合成でフランス語でも、英語でも、日本語でも読んでくれる無料サイト、imtranslatorもあります。(登場する顔がコワいけど!)