2009-10-05

脱性の身体/体操/近代ドイツ

鷲田清一『悲鳴をあげる身体』より
ダイエット強迫からくる摂食障害、そこにはあまりに多くの観念たちが群れ、折り重なり、錯綜している。たとえば、社会が押しつけてくる「女らしさ」というイメージの拒絶、言い換えると、「成熟した女」のイメージを削ぎ落とした少女のような脱-性的な像へとじぶんを同化しようとすること。ヴィタミン、カロリー、血糖値、中性脂肪、食物繊維などへの知識と、そこに潜む「健康」幻想の倫理的テロリズム。老いること、衰えることへの不安、つまり、ヒトであれモノであれ、なにかの価値を生むことができることがその存在の価値であるという、近代社会の生産主義的な考え方…

脱性、もしくは無性の身体は、1900年代~30年代のドイツにもあらわれる。「性的欲望から自由である」ことを誇示するような、男女一対のヌード写真群である。

多木浩二『ヌード写真』より
二十世紀はじめのドイツのヌーディズムの理論家はウンゲヴィッターであったが、彼は男女ともに裸体になりながら性的な衝動からは解放されていると思い込もうとしていた。そんな衝動は堕落の証拠である――。…それは退化を超えた精神としての身体、いわば無性の身体、性的欲望という(生殖をのぞけば)おぞましいものを排除した理想的存在を目指す実践者たろうとすることであった。

二十世紀はじめのドイツのヌーディズムは、十九世紀のさまざまな科学的言説(それ自体もいかがわしいが)が、民族文化とか人種主義とかに結合したとき、歴史にあらわれてきたのである。ヌーディズムを支える「性」のイデオロギーは、民族と文化の純粋性を維持するために「性」を管理する思想に遠くではつながっていた。この性の政治学は、身体から「性」を剥奪していくイデオロギーであったのである。全体主義あるいは国家主義という二十世紀の身体経験は、一見すると体育運動の延長にあり、身体は強調するが、反対に「性的欲望」あるいは「性的身体」としての存在は抹消する方向にあった。性的衝動はどこにいくのか。ヌーディズムのダンスによる陶酔や体育好み、さらにはあのナチ独特の集団的エクスタシーがこの否認された性的欲望の充足を引き受けていたのではなかろうか。

ちなみに、というか「体育好み」を論じるにあたって非常に大事な点であるが、現在、器械体操と呼ばれるものは、ドイツのフリードリッヒ・ルートヴィヒ・ヤーンのトゥルネンが基礎になっている。それは、ドイツの国民意識を創出するという意図の中で考案された、ドイツ青年男子の体操運動であった。礼拝とトゥルネン指導者の賞賛、名跡での戦記の朗読、規律、回数で測定される出来栄え、競争と小集団内の結束、そして道徳的な脆弱であり身体に有害なものとされた自慰や女性との性交。
つまり、器械体操の誕生は近代国家、戦闘、男性性の優位と切り離すことができない。
(この時代の)女性のイメージは性的でないから、ピン・アップのように性的な誘惑を振りまくことはなかった。これは女性を尊重してのことではなく、女性の性が生殖能力だけに固定されていたからである。

レーベンスボルンに象徴されるように、ナチは「第三帝国を支える戦士を産む」という役割のために、ドイツ人(アーリア人)女性(正確には産む性)を保護する政策を実行したのである。